エンターテイメント
2021.04.07

実は「ミスセブンティーン」出身! 橋爪 愛さんインタビュー

驚異の“9頭身”スタイル&独特のキャラクター“づめ子”として2011〜2017年の間、Seventeenモデルだった橋爪さんは現在、ファッションショーのランウェイで存在感を放つトップモデル。ST時代から宣言していたパリコレ出演の夢もかなえていました!

ミスSTオーディションの思い出

「小学4年生のときに芸能事務所にスカウトされたのですが、バスケに夢中で興味がなかったんです。母親の希望で中学から所属することになり、初めて受けたオーディションが『ミスセブンティーン』でした。オーディションとは何なのかすらわからないまま面接の日になり、自己紹介だけは言えるように、と言われてくり返し練習していた記憶があります。
 そんな調子だったので、会場についてからもまったく緊張していませんでしたね。合格・不合格があることも理解していなかったので、まわりの子に“どこから来たの?”と話しかけまくっていました(笑)。そして水着での面接では人生で初めてのビキニを着たんですけれど、カップ数があっていなくてブカブカで。ずれるのが心配で自己紹介どころではなかったんですよ。練習したのに、かみまくりでした(笑)。
 後日、編集部のかたたちから“ずっとモジモジしていて印象的だった”と(笑)。必死でしたがラッキーでした(笑)。今ひさしぶりに最終候補者ページの写真を見て… 意外と自然な笑顔ができているのも、緊張していなかったおかげかなと思いました。この手書きメッセージなんて、“リバウンド王になってみせる!”ってぜんぜんモデルと関係ないことで恥ずかしい!」

とんでもない世界に来ちゃった!

「合格してもピンときていなかった私でしたが、初撮影の現場ではオーディションとはまるでちがう雰囲気を察しました。同期の(新川)優愛ちゃん、ポーちゃん(中条あやみ)、(坂東)希ちゃんと対面して、すでに芸能界で活躍していた3人だったから、みんな服もメイクも似合っていて、ポージングも完璧でした。私だけがきちんと動けなかったり笑えないせいで足をひっぱっちゃって。“とんでもない世界に来てしまった!”というアセりと緊張を急激に覚えましたね。
 でも撮影から地元の仙台に帰ると、そこには変わらない日常があって。ところが、ミスセブンティーン発表の号が発売されたら学校中が大さわぎになりました。“愛ちゃんがのってる!”と雑誌を手にした友達がかけよってきてサインを求められたり、廊下ですれちがった先輩たちからは“がんばって!”と声をかけられたり。気分がよかったですね(笑)。芸能人になったことを自覚して、もっともっと有名になりたいと思いました」

社会のマナーを学べた場所

「とはいえまだまだバスケに熱中していたし、モデルはあくまで趣味の領域でした。撮影にも慣れると、“東京に行けてラッキー”みたいな遊び感覚。終始おしゃべりしたり、お菓子を食べたり、やりたい放題(笑)。そんな私に社会のマナーを教えてくれたのは編集部のみなさん。さわがない、裸足で歩かない、他のモデルのポージングを見なさい──当たり前のことを、ひとつひとつていねいに注意してくれました。
 しかし当時の私は、反抗期どまん中。素直に聞けないし、先輩のポージングを見たいと思いながらも遠ざかったりしていました。家に帰ってからは反省して号泣するのに、また同じ態度をくり返していて…。ある日、根気強く注意しつづけてくれていた編集さんが、言葉にするかわりに大きなため息をついたんです。そのときに初めて“やばい、見すてられてしまう!”と危機感を抱きました。それからようやく態度を改めるようになりました(笑)。
 セブンティーンを卒業してからわかったのですが、モデルやタレントは“商品”なんです。注意してもらえたり叱ってもらえることはほとんどない、自己責任の世界。STでの経験がなかったらと想像すると、ぞっとしますね。すごく横柄な人間になっていたと思います」

目標はパリコレ!

「私がショーのランウェイを歩く楽しさを知り、ランウェイモデルをめざすきっかけになったのもセブンティーン。『学園祭』イベントが私のルーツ、と言っても過言ではないです。もちろん初めて歩いたときには、楽しむどころか、もう一生歩きたくない! と思いました。直前まで足のふるえが止まらず、半泣き状態。“大丈夫だよ、なんとかなるよ”って(新川)優愛ちゃんがはげましつづけてくれていなかったら、本当に逃げていたかも(笑)。あれほどの緊張は22歳になった今も体験したことがありません。
 ステージ上でどうふるまったかの記憶はほとんどないのに、ランウェイから見えた光景、客席からの歓声、終わったあとの達成感だけは、はっきりと覚えています。あの日からランウェイのとりこになっていたんでしょうね。『TGC』や『東京コレクション』の経験を積みながら、じょじょに余裕をもてるようにもなって。セブンティーンの夏の学園祭が、いつのまにかいちばんの楽しみになっていましたね。
 決定的な転機は、『東京ランウェイ』で冨永 愛さんのウォーキングを見て訪れました。あまりのオーラとかっこよさに、とてつもない衝撃を受けて。ランウェイモデルという職業を知ったのもこのとき。私がなりたいのはこれだ! と直感しました。本気でめざすべく、両親を説得して高校入学と同時に上京。なぜか自信だけはあって、STの誌面でも“パリコレをめざす!”と宣言していました。
 現実はそんなに甘くなくて、海外ブランドのコレクションにあこがれて私服もモードを意識するようにしたら、STの世界観にはハマらなくなってしまったり。所属していた事務所からは女優の道を勧められ、ドラマや映画のオーディションを受けては落ちる日々。求められることと自分の理想がちがう状況がつらくて、だけど何をしたらいいかわからない、何ができるかもわからない…。葛藤していました」

心の支えになった言葉

「モヤモヤしている中、STの仲間たちはどんどん活躍の場を広げていって。自分だけが遅れをとっている感覚に、ますます落ち込みました。プライドが高くて、だれにも相談できなかったんですよ。撮影現場では“づめ子なら絶対パリコレに行けるよ!”と応援してもらっていたんですけれど、それすらもプレッシャーに感じていた時期はつらかった。
 女優になりたいわけでもないのに、主演作が決まったSTモデルへの嫉妬を自覚したとき、目標を完全に見失っていると気づきました。あらためて考えて考えて、やっぱりランウェイモデルになりたい! その答えが出たときに、すっと心が軽くなりました。そんなタイミングに、撮影で“づめ子のスタイルは無敵だね”という言葉をかけていただいて。失っていた自信を取りもどすきっかけになりました。今も心の支えになっている言葉ですね」

夢をかなえた卒業後

「高校とセブンティーンを卒業して、所属事務所との契約も満了しました。心機一転、自分の道を切りひらこうと決心。紆余曲折はありましたが、なんとか目標だった“10代でパリコレデビュー”を達成できました。現在の目標は、引退したあとにも名前が語り継がれるモデルになることです。“橋爪 愛みたいなポージング”と言われるような存在になれたら、最高ですね♡
 悩んでいた当時はただただつらかったけれど、今となってはいい経験だったと心から思えます。自分がやりたいことに出会える人は、ごくわずか。それを10代で知って、つきつめることができて、ものすごく恵まれているなって。夢がすぐにはかなわず、挫折しかけたこともよかったですね。どんなにつらいことがあっても、“あのときにくらべたらマシ!”と思えるので(笑)。苦労せずに実現できていたら、逆にランウェイモデルになってから挫折していたと思います」

画像は橋爪さんのインスタグラム(@hashizumeai)より。有名ブランドのショーやモード誌などで大活躍中!

橋爪さんにとって“ミスセブンティーン”とは

「ミスセブンティーンのおかげで今の私がある。感謝しかありません。昔の私に、“好きなことでごはんが食べられるんだよ! そんなラッキーな人はほとんどいないんだから、もっとやる気を出しなさい!”って叱りたい(笑)。
 今年、挑戦する子たちへのアドバイスは… 面接の水着は、しっかりフィットするカップ数のものを選びましょう(笑)。それさえ大丈夫なら、あとは意気ごみすぎない自然体でOK。不安で苦しくなったら、自己紹介すらちゃんとできなかった私の例を思い出して!(笑)
 受けてみるだけで新しい道、新しい自分に出会える。これは断言できます。いろいろなオーディションを受けて学んだこととして、合格するだけがよい経験ではない、ってこと。落ちて凹んで、自分を見直したりすることも将来の大きな財産になります。中高生なんていくらでもやり直しがきくんだから、やらないで後悔する選択肢はないでしょ♪」

はしづめあい●1999年1月17日生まれ、宮城県出身。2012年『東京ランウェイ』の春夏公演に最年少のモデルとして出場。2019年の春夏パリコレクションで『ヨウジヤマモト』のショーに出演。現在はランウェイモデルのほか、さまざまなブランドのビジュアルやファッション誌で活躍している。

しめきりは4/14(水)! 
応募方法などの詳細はこちら 
「ミスセブンティーン2021」特設サイト 
https://st-channel.jp/missst2021/

撮影/山崎ユミ 構成/中西彩乃

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